『ミッツアロのカラス』沢山の方に見て頂き、大変好評をいただきました。こういう物が見たかったと、言って頂く反面、わかり難かったとおっしゃる方も、いらっしゃいました。初めて短編小説から起こしたと云うこともあって、説明や内容の表現の至らなさがあったと思われます。
ピランデッロのカオスシチリア物語から3編、月を見つけたチャウラから1編を選び構成しました。
お客様の中には全部を一つの作品として見た方がいらっしゃったようですが。そう見てしまうと、難しくなってしまいます。
内容は平たく説明的に出しすぎると、忽ちごく当たり前の詰まらない涙話に近づき、説明が無く演技で埋まるかと言うと、中々そうもいかないところがあって、苦しいところでした。
基本的なテーマにした、人は他人から与えられた物の見方や、自分に無理にそうさせているものの見方からちゃんと自由になって、やって行けるか?というテーマでしたが。
今回はプロローグで羊飼いに卵を割られたカラスが、天高く飛んで行って、ふと自分のしがらみや、家族や他者に与えられていた自分の役割から逃れて、自分というものの存在や自由に気が付いて帰ってこなくなり、そのカラスがそれぞれの人の居様や物語りを覗いていくと言う構造にして、そのテーマを託しました。
最後のエピローグのカラスのセリフ 「物を見なくなった者の目で見てごらん、そうすれば全てはもっと美しく、神々しく見えるはずだ。」 これはカオスシチリア物語の中で息子が、愛する亡くなった母親との不思議な会話の中で、最後に母が息子に言う言葉なのです。神秘的な示唆に富む言葉ですが。今回僕はこのセリフをグワルノッタのこと、つまり最後に死んだ男が、死を覚悟し通り超えた者として、つまり物を見なくなった者として、カラスの子供たちに言うかのようにして、語ったつもりです。